“ アンガー・イズ・アン・エナジー ”
Public Image Ltd(PIL)の「ライズ」(Rise)という曲には、ちょっとした思い入れがあります。
ずいぶん昔、聴いた時に「あれ? アンガー・イズ・アン・エナジーって歌ってる?」とか思って、印象に残っていまして。
英語の聞き取りは、今もそれほど得意ではありませんが、当時「もしそうだとしたら、なんかいいこと歌ってる...シンプルで力強いフレーズだし...」とか思っていたのです。
で、しばらくして歌詞を和訳込みで確認したら、本当にその通りだったんです。
「怒りはエネルギーなんだ」(Anger is an energy)とシンガーのジョン・ライドンは繰り返していたんです。シビれました。
日本で、イギリスやアメリカのポップス/ロックがあまり聴かれなくなっているらしいとは聞きますが、向こうの楽曲は、ところどころわかるセンテンスが突然飛び込んできて、イマジネーションを刺激されるのが、面白いところだと個人的には思っています。
こういう楽しみ方は洋楽ならではだなぁと。和訳を見て「暗号」をひも解く面白さもありますし。
で、「アンガー・イズ・アン・エナジー」です。
人間には喜怒哀楽の四つがあると言いますが、その中で怒りに関しては結構、負のイメージがついて回っているかもしれません。「なるべく持たないようにしよう」的な考え方もあるようです。
まぁ分からなくもないですが、そこに存在しているのにもかかわらず、ナシにしようというのは無理があるんじゃない?とイシヤマは思っています。否定的になるのは自由ですけど。
あっちゃいけないものではなく、それをどこに向けるのか/どうやって納得するのかが問題になるだけではないのでしょうか。欲求不満みたいなものも、それの一種のように思いますし。
その時のよろしくない状態に対して、力強く「否」を突きつける、そしてそれを本気で変えていこうとする原動力は「怒り」しかないような気がするのです。感情ベースの話をすれば。
ただ何かを変えていくリスクの事を考えれば、しぼんでいきやすいものかもしれません。「メンドくさいから、まぁいいか。しょうがないか...」みたいな、よくあるパターンです。
しかし、いい意味での「怒り」をキープできて、それをいい方向に発展させることができる人は、「その時」とは違う「いい風景」を見れる可能性が高まるわけです。少なくとも、「現状」とは違う場所に立とうとしたわけですから。
釘を刺しておきますが、あくまでも「暴力」とは直結させない形で、ですけど。
まぁ何と言うか、「現状維持」ではない方向性を持つ人と、「怒り」は親和性が高いのかもしれません。
とは言うものの。
いくつかの「気をつけといた方がいいんじゃない?」と思うところを書いておきます。あくまでもイシヤマの考えですが。
まず、過去にとらわれて、ずーっと同じ怒りを持っているのはナンだなぁと思うのです。時間に関係する、どうにもならないことに拘泥するのは、「こだわり」ではないように思うのです。タイムマシンがまだ開発されていないわけですし。
過去の出来事の反省を未来に活かす、とかならいいんですけど。「ま、いいか」も重要なのです。
「一回やってみてダメだと思ったら、元に戻ればいい」の姿勢でいいんじゃないでしょうか。
取り返しのつかないことって、実は結構少ないですし、そう思っているのは、自分だけのことも多いんじゃないかと。人の生死に関わることは別ですが。
また「私が怒っているから、なにをしてもいい」「私の怒りが常に最優先される」ということでもありません。この部分は、最近のネットの言説を見ていると、特に強調した方がいいかもしれません。
自分の感情/気分は、他人にとって、強力な説得力には必ずしもなり得ないということなのです。
表明することは重要ですし、「閉じこめることなく、開放しよう」の精神はすがすがしいのですが。
他人にしてみると「だから何なの?」ということでしかないのです。あまりそれ「のみ」を振り回すのは、うまくいくことも頓挫しちゃうかもよ...というところでして。
まぁ、まずはPILの「ライズ」を聴いてみてください。
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Original photo courtesy of Yohta Kataoka