「なんだかなぁ」と柔軟な姿勢

「○○じゃないですか〜」という物言いが、苦手です。
正確に言うと、それの連発に拒否反応があります。

 

自分の前提条件をさらっと他人に押し付けるアレです。これの「連射」を受けると「この人とコミュニケーション取るの大変そうだなぁ」と、どうしても思ってしまうのです。

 

もう少し説明しますと、以下のようなパターンです。

「普通、そういうことって、みんな知らないじゃないですか〜」
「アートって、だいたいマニア向けじゃないですか〜」

...みたいな感じでしょうか。


何と言うか、自分とあなたは一緒でしょ? そう決まってるでしょ?みたいなものの言い方です。悪意がなく無意識ベースっぽいので、ソフトに話しかけられても、話がしづらいです。できないとはいいませんが。

どうして、他人が自分と一緒だと思うんでしょうか。もしくは、なんで、その事柄が「決まって」しまっているんでしょうか。さらに言えば、この物言いを連発する人は、これまで何もトラブルがなかったんでしょうか。不思議です。

photo by Yohta Kataoka


日本語が通じたとしても、他人とは前提条件が違うかもしれない、ということをベースにすれば、日々のコミュニケーションも、もっと実りのあるものになるような気もするんです。「発見」や「気付き」に、より多く出会えるんじゃないかとも思うんですけど。

 

もちろん、そんなもの求めていない、ということなら、こちらも口をつぐみます。
ただ、そうならば「イノベーティブな〜」とか「革新的な〜」とか、素晴らしい文言を二言目に出して、プレゼンするのはアレだなぁと思うんです。正直、このパターンは何回となく味わいました。それは、チグハグ以外の何ものでもありません。

これは、否定でも何でもありません。こういう言い方をしちゃいけないと言うつもりもありません。単に、凝り固まった、自分の前提条件をずらそうともしない状態、他人との違いを「塗りつぶす」ような姿勢に、「なんだかなぁ」と思っているだけです。

 


 

自分は、シアター関連以外の人と話す機会がそれなりにあるんですが、「ちゃんとしている」もしくは「まっとう」と思われている人でも、そういう人が結構いて、びっくりすることがあります。社会的に信用があるとされている人で、バリバリ仕事しそうな中堅どころの人がほとんどなんですけど(だからこそ、仕事ができるということなんでしょうか?)。

 

「保守的」とかそういう説明ではつかないような気がしますし、こちらとしては「あー、またコレね」なんですが、何だかもったいないと思ってしまうんです。少なくとも、イシヤマは身構えて、その人に対する興味は失ってしまっているわけですし。

単純に「わたしは○○と思う/感じている」という言い方で、いいんじゃないでしょうか。

photo by Yohta Kataoka

言葉はしょせん言葉にしか過ぎないと言う考え方もあります。思考と言葉は別というものです。
しかしこちらは言葉や、他の発せられる情報(雰囲気とか仕草でしょうか)を持ってしか、ミーティングの際に、その人を判断する材料がありません。

言葉に「決めつけ」の姿勢がほの見えていると、どうしても「新しいことは望んでいない人なのかな? 口ではオープンとかいろいろ言ってるけど...」と思ってしまいます。そういう直感のようなものは大抵当たるもので、またアレなんですけど。

 



物事には、常に柔軟に対処しておいた方がいいんじゃないかなぁと思っています。
キャリアを重ねると、「あの時と同じパターンだ」というような「思い込み」でタカをくくってしまうこともあります。自分もありましたし、痛い目をみたことも1回や2回ではありません。

まぁそういう「反省」もあるので、凝り固まった偏見のようなものを極力減らして、他人には接するようにこちらは努めています。そうした方が、面白い結果に出会える可能性が高まると分かったからです。理由は単純です。

それを徹底すればするほど、「〇〇じゃないですか〜」の連発からは、自然と距離を取ることになると思うんですが、どうでしょう? 逆に言えば、その状態は、ある一方向からしかモノを見ていないことを、声高に他人に宣伝して歩いてるようにも、見えてしまうんですけど。

 


 

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Original photos courtesy of Yohta Kataoka