“ アンガー・イズ・アン・エナジー ”

Public Image Ltd(PIL)の「ライズ」(Rise)という曲には、ちょっとした思い入れがあります。

ずいぶん昔、聴いた時に「あれ? アンガー・イズ・アン・エナジーって歌ってる?」とか思って、印象に残っていまして。

www.youtube.com

 

英語の聞き取りは、今もそれほど得意ではありませんが、当時「もしそうだとしたら、なんかいいこと歌ってる...シンプルで力強いフレーズだし...」とか思っていたのです。

で、しばらくして歌詞を和訳込みで確認したら、本当にその通りだったんです。
「怒りはエネルギーなんだ」(Anger is an energy)とシンガーのジョン・ライドンは繰り返していたんです。シビれました。

 

日本で、イギリスやアメリカのポップス/ロックがあまり聴かれなくなっているらしいとは聞きますが、向こうの楽曲は、ところどころわかるセンテンスが突然飛び込んできて、イマジネーションを刺激されるのが、面白いところだと個人的には思っています。

こういう楽しみ方は洋楽ならではだなぁと。和訳を見て「暗号」をひも解く面白さもありますし。

 


 

で、「アンガー・イズ・アン・エナジーです。
人間には喜怒哀楽の四つがあると言いますが、その中で怒りに関しては結構、負のイメージがついて回っているかもしれません。「なるべく持たないようにしよう」的な考え方もあるようです。

まぁ分からなくもないですが、そこに存在しているのにもかかわらず、ナシにしようというのは無理があるんじゃない?とイシヤマは思っています。否定的になるのは自由ですけど。

 

あっちゃいけないものではなく、それをどこに向けるのか/どうやって納得するのかが問題になるだけではないのでしょうか。欲求不満みたいなものも、それの一種のように思いますし。

その時のよろしくない状態に対して、力強く「否」を突きつける、そしてそれを本気で変えていこうとする原動力は「怒り」しかないような気がするのです。感情ベースの話をすれば。

ただ何かを変えていくリスクの事を考えれば、しぼんでいきやすいものかもしれません。「メンドくさいから、まぁいいか。しょうがないか...」みたいな、よくあるパターンです。

 

しかし、いい意味での「怒り」をキープできて、それをいい方向に発展させることができる人は、「その時」とは違う「いい風景」を見れる可能性が高まるわけです。少なくとも、「現状」とは違う場所に立とうとしたわけですから。
釘を刺しておきますが、あくまでも「暴力」とは直結させない形で、ですけど。

まぁ何と言うか、「現状維持」ではない方向性を持つ人と、「怒り」は親和性が高いのかもしれません。

photo by Yohta Kataoka

 

とは言うものの。
いくつかの「気をつけといた方がいいんじゃない?」と思うところを書いておきます。あくまでもイシヤマの考えですが。

 

まず、過去にとらわれて、ずーっと同じ怒りを持っているのはナンだなぁと思うのです。時間に関係する、どうにもならないことに拘泥するのは、「こだわり」ではないように思うのです。タイムマシンがまだ開発されていないわけですし。
過去の出来事の反省を未来に活かす、とかならいいんですけど。「ま、いいか」も重要なのです

「一回やってみてダメだと思ったら、元に戻ればいい」の姿勢でいいんじゃないでしょうか。


取り返しのつかないことって、実は結構少ないですし、そう思っているのは、自分だけのことも多いんじゃないかと。人の生死に関わることは別ですが。


また「私が怒っているから、なにをしてもいい」「私の怒りが常に最優先される」ということでもありません。この部分は、最近のネットの言説を見ていると、特に強調した方がいいかもしれません。

自分の感情/気分は、他人にとって、強力な説得力には必ずしもなり得ないということなのです。
表明することは重要ですし、「閉じこめることなく、開放しよう」の精神はすがすがしいのですが。

他人にしてみると「だから何なの?」ということでしかないのです。あまりそれ「のみ」を振り回すのは、うまくいくことも頓挫しちゃうかもよ...というところでして。

 

まぁ、まずはPILの「ライズ」を聴いてみてください。

 


 

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「飽きっぽい」のは悪くない

最近「映画館離れ」の記事を目にしました。

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ここで、取り上げられていた「集中力がない」という声が、こちらにしてみると「へぇ〜」という感じでして。

というのも、イシヤマは、集中力がもたないからこそ、映画館により頻繁に通うようになってきているんです。

まぁこのような状態になっているのも、ここ6-7年くらいで、まだまだこういう「楽しみ方」に新鮮味を感じているだけなのかもしれませんけど。
(それまで、空き時間があれば、極力、シアターやライブハウスに通っていたもんで)

 

正直、妙な物言いですが、ネットとかのレンタルを駆使して映画を楽しんでる人をみると、あこがれにも似た感情が出てきたりもします。自宅での映画鑑賞ですと、他の「誘惑」も多いので、うまく集中することができないタチなんです。
こちらは映画館に「監禁」されて、「観るしかない」状態にされてやっと集中する感じなんです。もちろん、拷問を受けにいくわけではないんですけど。


一つには、映画を観るという行為にも、ライブ性を何となく求めてるところが、自分にはあるんだと思うんです。シアターでの公演と一緒のものです。

「◯◯時開演だ、会場に急ごう〜」というものが、とにかく好きなのかもしれません。
「今、中断してもいいんだよな...」と思うと、本当に集中しなくなってしまうんです。

まぁ「そもそも論」的に言えば、イシヤマの「飽きっぽい」性格が原因なのは、言うまでもないんですけど。

 


 

で、こういう「飽きっぽい」話の時に、いつもイシヤマが話題にあげるのが、ポメラという製品でして。
キングジムから販売されている、言わば『ワープロ」です。テキストを打ち込むことしかできないものです。

www.kingjim.co.jp

 

これは30-40年前の製品ではなく、10年前に初代が発売された、「現役選手」なのです(もちろん、イシヤマも使っています)。
こんな一見「時代遅れ」の単機能マシンが、結構なヒットを記録をしたんです。今は第三世代くらいで、複数のラインナップがある程なのです。

 

「それしかできない」状態が、幅広い層に受け入れられたからなんでしょうけど、こちらは「自分のような「飽きっぽい」人が、今、多いってことでしょ〜」とか思ったりもしてまして。

というのも、ラップトップで原稿を書き始めたら、ついついウェブやSNSを確認しにいってしまうような「意志」の弱い人(イシヤマです)には、これは最適な道具なのです。
「テキスト打ちしかできない→集中出来る(仕方なく)→マス目がうまってゆく」という図式で、入力を進められるのです。

「飽きっぽい」からこそ、こういう「展開」にも出会うわけでして。
「行き止まり」とか、「どうにもならない」事態って、意外と無いんじゃないでしょうか。

photo by Yohta Kataoka

 

まぁ「誘惑」に弱い「飽きっぽい」性格も、悪い事ばかりではないと思うのです。「好奇心旺盛」という言葉に置き換えられる部分もありますし
見方を変えれば「柔軟な姿勢を持っている」とか、「フットワークが軽い」というポジティブな意味をまとうことがあるかもしれませんし。

 

自分は「飽きっぽい」が故に、アート・パフォーマンスを作り続けてこれたんだと思うんです
ベースにあったのは、もっと面白いショウを観たいという「欲」で、これは正に好奇心です。
それまでのことに「飽きて」、「今度はこういう要素を取り入れる」「次は□□なアーティストとコラボレーションする」みたいな、新しい「欲」がずっと沸いてきているだけなのです。

 

○○道のように、辛抱強く何年も、一つのことを極めてゆくことを「エラい」とする価値観があるのは分かります。でもそれが全ての「エラい」ではないと思うのです。

 

もし「飽きっぽく」て、目の前のことに集中できずに、「参ったな〜」とため息ついてる人がいたら、こちらは「別に大丈夫じゃない?」と声を掛けると思います。
ちょっと視点をずらしてみるだけでも、状況は好転するかもしれませんし。
ネガティブなだけにとらえるのは、ちょっともったいないかなぁと。

 


 

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「上手い/下手」以外...?

パンクとかニューウェイブとか好きでした。

そういうバンドを組んでいたくらいでしたし。もちろん、今でも好きでして。
もう、そっち方面のレコードは買わなくなりましたけど。

 例えばこういうもの↓でしょうか。


Bauhaus - of lillies and remains (studio)


自分はそういう音楽に、小学校の時に触れたと記憶していますが、それまでに聞いてた歌謡曲とかロック/ポップスとは違う「肌触り」でした。ロックといえばロックなんですけど。

楽曲のフレーズとかが独特で、「どうやって弾いているのか分からない」とか「どんな楽器を使って、この音を出してるんだろう」とか、よく思っていました。

 

いわゆる「プロの楽器プレーヤー」ではない人が、その界隈に多かったからだと思うのですが、当時は妙な「アイデアあふれたプレイ」がかなりありました。
ギターって、まだまだいろんな音が出せるもんだなぁとか、エフェクターって可能性があるなぁとか、こちらも、それまでの音楽に対するものとは、ちょっと違う感想が多かったように思います。

 

当時はイシヤマも頭が固かったので、「この曲は五線譜に表せるのか?」「できるとしたら、どんな感じなのか?」等、よく考えてました。五線譜に表せられないと、練習しずらいよね?とか、変な疑問もありました。恥ずかしくなりますが、頭が固い人の典型だったかもしれません。

 



今も思い出すことがあります。
「素人でも参加できる音楽の形!」とパンク/ニューウェイブを、当時のメディアが書き立てていたんです。不思議でした。

 

今でもそういう言い方は聞きますが、イシヤマは正反対の感触を持っていたんです。
楽器演奏の上手い/下手ではなく、「センス」という謎のものが突出している楽曲は、練習すれば到達できるという地平には立っていないんです。となると、逆に「しんどい」んじゃないかと思っていたんです。

 

要は、楽器演奏が下手だったら、練習して上手くなればいいんじゃん〜という事なんです。
しかし「そこ」に、パンク/ニューウェイブはいないわけです。より難しい事になるのは自明の理じゃないでしょうか。

 

もちろん、練習することが容易いことではないのは百も承知です。プロの様々な楽器プレーヤーさんの日々の努力を知っているだけに、軽く思っているわけではないんですが。

 

ただ、「それまで」とは「ゲーム」が違っていたんです
練習しても手に入ることが保証されない、「センス」という謎のものが中心にあったんですから。言い換えれば、練習しなくとも獲得できる可能性「も」あるものが、そこにあったと言いますか。

(じゃ、練習ではなく、何をすればいいんだろう、何を磨けばいいんだろう、ということにもなるんですが。難しいところです)

ただ、この辺の事を突いてくる論評には、あまりお目にかかれませんでした。

photo by Yohta Kataoka

 

クリエーションとかアート活動をする際に、自分が一番怖いのは、「やり方」が分からないことなんです。

何かしら、困ることや、よろしくない事態に出くわすことって、何回となくあるんです。
その解決法として、金銭をベースにしたやり方でも、予算が許すなら、それでもいいんです。他にも、外部のテクニカルの人に助けてもらってもいいと思うんです。全ての過程を100%、アーティスト自身がやらねばならない、ということはないでしょうし(程度の問題はあるとは思いますが)。

 

しかし「どうしたらいいか分からない」という状態で、クリエーションや思考が、不本意な形でストップするのは、恐怖です。今もそこだけは避けたいところだよなぁと思っています。

「お金を用意できれば〜」とか「◯◯さんに仕上げをお願いできれば〜」がクリアになっていれば、少なくともプロジェクト自体は動かせる可能性が高まります

 



自分とってはパンク/ニューウェイブは、当初、「やり方」が分からないものの権化でした。
自分の頭が柔らかくなってからは、なんとか楽曲のコピー(に近いもの)も出来たりするようになりましたが、やはり年月はかかりましたし、「素人でもできる音楽」じゃないよな〜と思ったものです。

 

今は、あの時のメディアのアレは、物事に対して、「上手い/下手」以外の評価基準を持たない人が、「素人でもOK」みたいな物言いをしただけなんだろうなぁと思っています。

自分も今、それなりにキャリアを積んできてしまっているので、気をつけないと...みたいなところでして。

 


 

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立体は気になります

今年、目の病気をしまして。
それほど長くなかったのですが、一時期、眼帯をつけて生活していました。
右目のフォーカス部分が、ちょっといかれちゃってたんです。今は、ほぼ戻っているんですけど。

 

「片側のみ」で生活してみると、いろんな発見がありました。言ってみれば、「へぇ〜」の連続でして。

とにかく、びっくりしたのが、物事の奥行きが瞬時に分からなくなることでした。

 

左目は大丈夫だったので、それほど日常生活に困難はないだろうとタカをくくっていたんですが、大間違いでした。例を挙げれば、自転車での移動なんか、本当に怖いものでした。(「やっちゃいけないこと」の上位ランクなんでしょうけど、つい...)

 

何と言うか、常に歩行者がいきなり飛び出してくるような感じだったのです。もちろん、画像としては「見えて」いるんですけど。これは上手く説明できない、不思議な現象でした。「片側のみ」に慣れていなかったからかもしれませんけど。

 

目は二つありますが、これには理由があるんだなぁと、今さらのように感心しまして。
相変わらず、小学生みたいな感想で恥ずかしいんですが。

photo by Yohta Kataoka

 

ただ、ここでちょっと思ったことが一つ。

右目と左目はちょっと場所が違います。当たり前ですが、瞳に映っている像は、左右で微妙に違っていると思うんです。

 

この情報のズレが、「立体感」を生む源泉になるんじゃないか?とか思ったんです。そうでなければ、あの奥行きが瞬時に分からなかった現象の説明がつかないのです。

もしくは、そのズレがある情報の状態「こそ」を、自分達はこれまで、「立体的」と呼んできたんじゃないのか?なんて考えちゃいまして。

 

同じ対象物に関する二つの「ズレた」情報が、脳に伝わると、リッチな映画のようになって「上映」される...ということなのか?とも。

微妙に違う「ズレた」映像を与えると、人間はどうしようもなく「立体的に」感じてしまう、ということもあるかも... ん?ということは、ズレてればいいわけで、「立体的」は人工的にも作れるのか?とも考えたりしまして。

 


 

眼も二つですが、耳も二つありあます。
位置的に「ズレた」情報を脳に伝えるのは、耳も一緒だと思うんです。

 

同様の話ですが、イヤホンを片側だけつけて聴くのと、両方の場合ですと「立体感」が違います
特にそういった部分を強調している音源ですと、段違いです。コンサートのライブ録音盤を想像すると分かりやすいでしょうか。

 

ただ、「違う」情報というよりも、「ズレた」情報。これがキモのような気がします。
そして、それを二つ以上用意すること。
この辺が、「立体感」を考える時のキーになるような感じがしています。

 

もう少し考えると、「面白い風景」が見えてきそうです。ただ自分にはもう一押しが必要な感じです。何かひらめきそうなんですけど。

そもそも、「違う」と「ズレた」の境目は、どの辺にあるんだろう?とか考えてみるのも興味深いです。

大学の研究室にいるような方々には、何を今更言ってんの?と笑われるのかもしれませんが。

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自分は、パフォーミングアーツをメインで手がけているので、そういうことには敏感なところがあります。
2016年からの『0dB』のパフォーマンス・シリーズで、「臨場感」のことを真正面から考えてきましたし。

更に言えば、収録後の映像作品としてではなく、「ライブ・ショウ」として際立っている作品を、もっと観たいなぁと常日ごろ思っているのです。

その場でしか味わえないようなものって、どんなこと?とか、「体感」ってどういう状態?とか、思いを巡らせることがしょっちゅうです。

 

「立体感」の話もここにつながってきます。
パフォーマーやシアターというものが立体なので、当たり前なのですが、時々「立体的」と評されるショウはあります。その演出は、一体、何がどうなっているの?と解析したくなります。どの辺が強調されていると、そう言われてしまうんでしょうか。気になるところです。

多分、「臨場感」というものにも関わってくると思うんですけど。

 


 

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